ゆめさが大学佐賀校9期実践課程「まるぼうろマップ」作成グループ
はじめについて
私たち、ゆめさが大学生は、履修科目の一つとして体験学習があり、決まったテーマに沿ってグループ分けをし、在学中はもちろん、卒業後も続けていける活動を目指しています。
今回、私たちが選んだのは、「丸ぼうろ」。令和2年6月に「日本遺産」に認定されて注目を浴びるようになったシュガーロードの[肥前の菓子]の中から「丸ぼうろ」の魅力について調べることとしました。
まず、歴史についてたどってみると、1633年(寛永10年)鎖国令が出され、海外との交易が許されたのは長崎の出島だけとなります。そこで、当然、物資の流れは長崎から佐賀、福岡(小倉)へと、江戸期に整備された長崎街道を通って京、大阪、江戸、あるいは全国へと運ばれることとなりました。ここで、注目されるのが、その中に砂糖があったことです。この砂糖は食文化に革命を起こし、やがて砂糖を生かした文化が長崎を起点として街道沿いに広がっていくことになります。そう、シュガーロードの誕生です。
そして、小城の銘水が羊羹と結びつき、山側のグルテンを多く含んだ良質な小麦が「丸ぼうろ」という佐賀の銘菓を生み出すことにつながりました。
1639年、鶴屋のもとを築いた黒川善右衛門の二代目太兵衛が天和年間(1681-4)ポルトガルの製法をオランダ人から長崎で学んで佐賀に持ち帰ります。
同じく1661年、長崎警備のおり、製法をオランダ人から学んだ佐賀伊勢屋町の佐賀藩御用菓子司「横尾市右郎衛門。そしてのちにそれを学んだ「北島」の八代目(八郎)と九代目(安次郎)が、江戸後期~明治にかけて、鶏卵を加え、さっくりとして柔らかい画期的な商品を開発します。そしてその後もこのような努力はいろいろな店や人に脈々と受け継がれ、現在に至りました。
そして、その努力が花開いてシュガーロードが「日本遺産」の認定へとつながることとなります。
こうした店を是非お訪ねの上、「丸ぼうろ」の魅力を再発見していただけたら幸いです。
ゆめさが大学 地域活動体験学習「やってみよう」
「シュガーロード」― 丸ぼうろ グループ